
“誰かをおもう”気持ちから医療現場で生まれ、
愛され続けてきたブイ・クレス。
ご愛用者それぞれの“おもう”について聞きました。
インラインスケーター
東 千尋さんに聞きました
インラインスケートを始めたのは5歳のとき。スポーツ用品店で、たまたま子ども用のインラインスケートセットを見つけて、自分でねだったそうです。家の駐車場で初めてシューズを履き、1日中脱がなかった私を見て、両親が練習場所を探してくれました。学業と競技の両立、ケガやスランプなど、心が折れそうなときもありましたが、今日までインラインスケートを続けてこられたのは、日々の送り迎えや遠征など多方面でサポートし、なにより私の意志を尊重し続けてくれた両親のおかげです。滑り続けるのはもちろん、自分のため。でも、それが私を支えてくれた人たちへの感謝につながるのかな、と思っています。
子どもの頃、自宅から通える場所に、アジア最大級のスケートパークがあって、中学3年のときに閉鎖してしまうまではそこに通っていました。金島総一郎さんは、そこで出会ったプロ選手。13歳で日本チャンピオンになってからずっと世界の第一線で活躍し続けている方です。私にアグレッシブインラインスケートの楽しさを教えてくれた人であり、施設がなくなって練習の場所を失ったスケーターたちを救ってくれた恩人でもあります。市にかけあい、自費を講じて新たな練習場を作ってくれたのです。インラインスケートの業界を支え、牽引するひとりで、「こんなふうに滑りたい!」という理想のスタイルをずっと見せ続けてくれる人。私も負けてはいられません!
このスポーツには、恐怖心や痛みはつきものです。私も何度か大きなケガをしましたが、それを乗り越えられたのは、やっぱり根本にある「好き」という気持ち。負けず嫌いなこともあって、怖さより「どうすればできるようになる?」という好奇心のほうが勝って嫌いになることはありませんでした。今考えると、両親ともに私に口出ししたい場面は色々あっただろうに、いつも私の気持ちを尊重してくれていたんだな、と。両親や先輩、恩師など、ここにいたるまで私に関わってくれた人たちのおかげだとも思います。
“誰かをおもう”気持ちから医療現場で生まれ、
愛され続けてきたブイ・クレス。
ご愛用者それぞれの“おもう”について聞きました。
ブイ・クレスご愛用者
インラインスケーター
東 千尋さんさんに聞きました
インラインスケートを始めたのは5歳のとき。スポーツ用品店で、たまたま子ども用のインラインスケートセットを見つけて、自分でねだったそうです。家の駐車場で初めてシューズを履き、1日中脱がなかった私を見て、両親が練習場所を探してくれました。学業と競技の両立、ケガやスランプなど、心が折れそうなときもありましたが、今日までインラインスケートを続けてこられたのは、日々の送り迎えや遠征など多方面でサポートし、なにより私の意志を尊重し続けてくれた両親のおかげです。滑り続けるのはもちろん、自分のため。でも、それが私を支えてくれた人たちへの感謝につながるのかな、と思っています。
「アーバンスポーツ」ならではのシーンでトリックを決めた瞬間!
「怖さより好奇心」は5歳の頃から。
子どもの頃、自宅から通える場所に、アジア最大級のスケートパークがあって、中学3年のときに閉鎖してしまうまではそこに通っていました。金島総一郎さんは、そこで出会ったプロ選手。13歳で日本チャンピオンになってからずっと世界の第一線で活躍し続けている方です。私にアグレッシブインラインスケートの楽しさを教えてくれた人であり、施設がなくなって練習の場所を失ったスケーターたちを救ってくれた恩人でもあります。市にかけあい、自費を講じて新たな練習場を作ってくれたのです。インラインスケートの業界を支え、牽引するひとりで、「こんなふうに滑りたい!」という理想のスタイルをずっと見せ続けてくれる人。私も負けてはいられません!
2020年オランダ開催の世界大会で優勝!
金島さんと喜びのツーショット
このスポーツには、恐怖心や痛みはつきものです。私も何度か大きなケガをしましたが、それを乗り越えられたのは、やっぱり根本にある「好き」という気持ち。負けず嫌いなこともあって、怖さより「どうすればできるようになる?」という好奇心のほうが勝って嫌いになることはありませんでした。今考えると、両親ともに私に口出ししたい場面は色々あっただろうに、いつも私の気持ちを尊重してくれていたんだな、と。両親や先輩、恩師など、ここにいたるまで私に関わってくれた人たちのおかげだとも思います。
両親と。いつも見守ってくれたおかげで
インラインスケートを好きでい続けられました。
まずは「アグレッシブインラインスケート」の認知度がもっと上がっていて欲しいです。一方でこのスポーツには、競技の枠に入りきらない、ライフスタイルや音楽までも巻き込むストリートカルチャーとしての魅力があります。競技とは相いれない側面もあって、複雑な気持ちも…。でも、まずはその魅力や楽しさを広く知って欲しいのです。それには私自身が楽しく、かっこよく、滑り続けている姿を見せることだと思っています。 理想は10年後も今のように戦い続けていること。また、これからは後輩の育成にも力をいれたいと思っています。